第三期塾生最終レポート

匿名 匿名 松野 豊 定森統和 石関太朗


匿名

   自啓共創塾において、これまで学んだことを理論や知識として頭で理解するだけでなく、自分自身が日常の生活で意識して実践し、理論と現実のギャップを埋めていきたいと思います。

 

 現代は、人口減少・少子高齢化の進展、戦争犯罪や自然災害発生に伴う安全・安心への意識の高まり、そして、地球環境問題の深刻化、ライフスタイルや価値観の多様化等、多くの人が目先の喧騒に流されてしまい、自分の信じる道や将来への展望を描きづらくなっているような気がします。

 

 そのような社会環境の中、私は日常の生活において、武士道の7つの徳を意識し、日本のこころを家族や友人に共有していきたいと考えています。

 

 また、職場においては、上位役職になるほど、人(組織)を真に動かすのは、職責ではなく心(気持ち)であることを自覚し、目先の損得(処遇・給与等)よりも価値の大きいもの(信用・信頼)があり、それが将来、自分の大きな徳(得)になることを信じながら勤めていこうと考えています。

 

 私の将来については、自分の人生のためだけではなく、地域・社会に貢献するといったことをしたいと考えており、退職後は、保護司の資格を取得し、罪を犯してしまった人や非行少年の更生、社会復帰のサポートをしたいと考えています。

 

 罪を犯してしまった人や非行少年は、心に闇を抱えて人との関わりを拒絶するかもしれませんが、他人と区別することなく普通に接することを心掛け、自分の人生経験や体験を踏まえながら真摯に向き合っていこうと思います。

 

 この仕事は、ボランティアとして活動するものであるため、社会貢献に対しての強い気持ちを持つとともに、自分自身が他人をサポートできるほどの精神的ゆとりが持てるよう、将来に向け準備をしていきたいと思います。


匿名


松野 豊

 先ずは、皆さんに心から感謝します。

 

 塾の立ち上げ当初から、井上さんを通じて自啓共創塾のお話を伺う機会がありましたが、見聞するだけと、参加して五感で感じとるのでは趣が少し違ってきます。

 

 毎回レポートを書く過程で自分自身の54年間の改めて人生を振り返ることができました。ありがとうございました。

 

 それぞれ、以下の視点で振り返りをします。

 

(1) これから先どのような世の中にしたいか。そこに日本のこころはどう貢献できると考えるのか。

「俺が!私が!」ではなく、皆が思いやりをもって過ごせる世の中にしたいです。そのためには、ひとりひとりが自らの心を磨き高める学びが必要です。自分以外の誰かのために一生懸命汗水垂らして命をかけて励むこと。これこそがサムライスピリッツだと私は考えます。

 

(2) そのために、自分がこれから、または、将来取り組んでみたいこと。

12月12日(火)に縁あって茨城県境町で、致知出版社の藤尾編集長の講演を聴く機会に恵まれ、さっそく「致知」の定期購読に申し込みをしました。勉強やインプットも大切ですが、頭でっかちに考えることが私は苦手なので「知行合一」の精神で息をひきとる瞬間まで修養を続けて、ひとりでも多くの人が笑顔で暮らせる世の中をつくっていきたいと思います。


定森統和

 日本は、古来から他の国の文化を受け入れ、土着の文化と合流し、工夫を経て独自の発展を重ねてきました。外国からの異なる文化を受け入れるとともに、国内で派閥争いが起きても、敗れたモノを絶滅に追い込むということは、一切行われなかった。

 

 和・習合のこころが学習の有無に関わらず遺伝子レベルで育まれていたのではないかと思います。

 

 では、いったいどのようにして育まれていたのでしょうか。その根幹とベースは、縄文時代から続く「米づくり」ではないでしょうか。

 

 「米づくり」は、リーダーとしての役割を全て網羅しているほか、文化形成の土台、精神基礎の土台、教育の土台となっています。例えば、利用できる水源は限られていますから、しっかりとした対話を通じた連携が水田稲作の維持には重要です。政治において重要なのは、国民の声を届けることです。対話なしでは声を聞くことも届けることもできません。

 

 また、戦国時代の戦の多くは、稲作に影響が出ないように配慮がされていたとも言われています。何でもかんでも戦って勝てば良いというわけではないことも、リーダーの指針としてお米を通じて学ぶことができます。何より、誰かを出し抜いて人より多く収穫してやろうとした瞬間に、その地域の「米づくり」は崩壊してしまいます。蹴落とすのではなく、和合して協力しなければ、「米づくり」はできないのです。

 

 「米づくり」を差し置いて、「日本のこころ」の源流を学ぶことはできません。

 

 日本に外国から米の輸入がはじまっても、日本人は日本の米を食べます。金額が外国のお米と比較して高くてもです。それだけ、日本人はお金に代替されないこころの基本を米に置いていると思います。米は、糠や稲まで余すことなく使い切ることができます。地域の神社のしめ縄、備前焼などの焼き物は、長い年月をかけて水田の底で育てられた泥をさらに長い年月をかけて粘土に育てます。

 

 口に入るものだけでなく、見た目や器にまで美しいと感じるこころ、どんなに良い果実や結果を実らせても謙虚にこうべを垂れることを美徳とすること、これこそ、日本型のリベラルアーツではないでしょうか。天皇陛下もずっとお米づくりを続けられています。

 

 「米づくり」を通じて、自然科学、社会科学、人文科学その全てを余すことなく学ぶことができます。

これが、日本人の全ての学問のベースです。

 

 「米づくり」を通じて「日本のこころ」の源流を(食・文化・資源・対人関係・政治・誇・道徳・体育・知育)学んできたこともう一度再確認し、世界へ「米づくり」の精神の姿勢で臨むことが日本人にもとめられていることではないでしょうか。


石関太朗

  これからの世界「精神文明の到来」ポールシフトが変わりつつある昨今、地球が生きていることを改めて認識する中、現代は世界的に見ても資本主義からなる唯物主義から精神文明(功利主義から優生主義)へと形而上學が育まれる変転期だと考えます。相も変わらず「経済を良くする」とよく耳にしますが、経済の本質・語源である「経世済民」世を治め民を救うことに気付いた精神の持ち主が正に行動を起こす時。歴史からみてもこんなにも安心で、物質的にも豊かな時代は無いが心の豊さはどうなのか。本質から改め行動する時であり、自分が良ければ良いという我欲な在り方を考えさせられる今と私は感じます。

 

:視乎冥冥 聴乎無聴「見えない宇宙の姿を心で見て 聴こえない宇宙の声を心で聴く」

見える世界=約5% 見えない世界=95%と言われていますが、その見えない世界がどのようなものなのか持論ではありますが、現代ではその95%が煩悩の苦しみに塗れる気で作られており、日本人が古来から大切にしているアニミズムや幽寂閑雅の心気で理を明らかにしていく時代と考えています。藤原道真公が仰った「和魂漢才」澁沢栄一氏が仰った「士魂商才」そしてこれからは「和魂宇才」の時代への突入(かなと)。

 

 海外の民族性と比べることなどは与えられた役割の違いから意味を持たず、大和人が潜在的に持ち合わせている感性「精神文明」儒仏道禅神道からなる自然、光、天、道との一体化中庸を本質と捉え規範形成に努め世界に発信していくことで世界の人達の心に響く時代になっていくと考えています。人は何のために生きているのか人は生きている時代に何を感じとることが使命なのか。「人として生を全うするのでは無く、生として人をどう全うするのか」人が持ち合わせている煩悩、だからこそテーゼ・アンチテーゼからアウへーベンをどう覚醒させていくのか、人生をかけて探求をしていきたいと考えています。

 

:知行合一の教えをとても大切に考えています。知識とは「知っている」ということだけではなく実際に行動を起こしてはじめて「知識」「経験」となる過去にはこの教えを徹底した大塩平八郎氏も日本の状況が明治維新へと変わるまで乱から約30年を要しました。今行動に起こさなくていつやるのか。この塾を終える正にスタートでありここにいる皆さまと一緒に明日の第一歩を踏み出すことがこの自啓共創塾の意義、本質であると思っております。そこを是非一緒に考えていきたいと思います。私ごとながらこの塾に通いだし社団法人を設立致すここと相成りました。地球問題を考えるその分野における日本のトップ人材などでチームを構成し、企業や行政などを巻き込んでいきます。この日本の問題・そして大和人の精神性を取り戻すプロジェクトを来年3月にスタートさせます。実際に行動をおこし人がなぜ生きるのか、人生のあるべき姿の探求をチャレンジしていきます。