第一期塾生最終レポート

真仁田智 島津侑香 高野良子 三宅優美 甘粕亜矢


真仁田智

 私にとって「自啓共創塾」の次世代リーダーのための日本型リベラルアーツは、縄文時代から根づいた文化と仏教・儒教・近代西欧思想等が融合した日本の倫理感を活用し、現代の課題を解決する知恵やアプローチであるという確信を得た。また、各人が「自調自考」しながら、他者とのダイアログ(対話)を重ねる中から新たな発想を得られることを経験ができたことに、心から感謝申し上げます。

これからの世界・社会に向けて提案したいのは、「人口ピラミッドを180度回転させる社会へのコペルニクス的転回(パラダイムの転換)」です。日本社会の高齢者を労働人口が支えるという発想を逆転して、高齢者が若い世代を支える社会へと移行するのです。高齢者となる時期からは、還暦、定年退職、子どもの自立といった節目を迎え、それまでの個人としての使命感から、地域、国家、世界、次世代へと利他的な使命感を広げる、「自啓共創塾」の日本のこころを土台として取り組む社会への転換です。

 具体的には、日本の私塾(寺子屋含む)や海外の初等中等教育で行われる、15名前後の人たちが学ぶ「学校(クラス)」を立ち上げ、「自調自考」のアクティブラーニング中心の議論や探究活動、事前事後の準備を行うフィールドワーク、スポーツ文化活動(クラブ)、ボランティア活動、デジタル技術、健康管理などを学んだ後(2年間)、最終年はソーシャルビジネスなどを立ち上げるミッションをチームで達成する活動です。自分の存在意義と目的意識をもった活動に取り組むプログラムです。

◎実現させたいと考える理由について…利他的な目的を共有する

・平均寿命が延び、定年以降の約20年を見越した人生の意義・生きがい(使命感)が必要になる。

・日本の社会や経済は「超高齢化と少子化」が課題とされるが解決策が乏しい状況を克服できる。

・天然資源が少ない日本だが、「人材(人生経験やこころ)」・「財力」・「人脈」は豊富で活用できる。

※駅周辺などにはコロナ不況で空き部屋が増え、進学塾の15時までなど教室場所を確保活用できる。

◎一番学びたいのは還暦以降の世代…個人の生きがいを着火点に

・昭和の時代の教育や競争社会の発想を変える機会を求める…経歴や学歴は不問(禁句とする)

・日本のこころが何か、自らの文化的ルーツを学びたい世代…日本のこころを発揮する

・渋谷教育学園の自調自考とリベラルアーツの学びによる成長と変化…学ぶ人たちが主体となる

※教師はコーチング的関係を保ち、自啓共創塾と同じく幅広い世代の講師を招き、話題提供と問い立てなどのワークショップを開くことで、実践的な知を共有することができる。

◎家族、地域、勤務先以外のワクワクする人間関係づくり

・学校行事、研修旅行、部活動にも取り組む…授業は討論と対話、探究活動、プレゼン発表なども

・週3日程度登校、午前7時~11時30分、80分授業×3コマ(10分休憩)、午後アクティビティ

・授業料は月5万円程度、部活動は実費、研修旅行は平日、クラス単位の合唱や演劇コンテスト


島津侑香

NEOサムライによる社会の発展

 

 塾を通じ、最も印象深かったのは、「真のサムライとは?剣道・弓道・合気道にみる武士道のこころ」の講義・ディスカッションであった。

 特に剣道では、勝負は点数化せず、勝敗以外の部分で己を高め、勝負事だけれど礼にはじまり、礼に終わるというスポーツではあるが別の世界観があることを知ることができた。勝負を通じ、それぞれが己に勝つという心理も持ち合わせることで、その場にいるプレイヤーがお互いに高まり成長するのではないかと感じ、スポーツにありがちな根性論ではない、人間力を高める方法の一つであることを知った。またこれらの武道は、日本由来のものであり日本人らしさが形成される過程と密接な関係があることも理解できた。

 これからの時代、先行きが不透明で将来の予測が困難な状態(=VUCAの時代に)突入し、テクノロジーの進展でAIの活用が進みより便利で豊かな社会の訪れも予想される。先がよめないから、AIに支配されるのが恐怖だから…といったマイナス観点ではなく豊かになるこれからの時代を生き抜いていくためには、より人間力を高め過去の経験や発想だけにとらわれない自分自身の判断軸を十分に持って生きていくことが必要と考える。

 その中で一つポイントとなるのが武士道であろう。「義」「勇」「仁」「誠」といった正しい行いを行うこと、寛容であること、誠意をもって接することなど謙虚さを交え相手を思いやりながら接することが自分自身の判断軸を磨くにあたり要素となってくると考える。これからの社会は、自社の利益追求だけでは足りず、社会にどう貢献し意味をもたらせていくか?ということが求められる。会社や社会の発展をイメージしながらサムライの心で接することができればおのずと社会の成長につながっていけるだろう。

 ちなみにサムライ=男性という印象なので、女性もいるのか?リサーチしたところどうやら女性のサムライも存在した様。ただやはり体格的にも思考的にも男性的であることから、これからは性別にかかわらないナチュラルなサムライ=NEOサムライが増えていくことで多様な価値観が活かされ、グッドクラッシュを起こし世の中がよりよくなっていくだろう。


高野良子

(1)これから先、どのような世の中にしたいか。そこに日本のこころはどう貢献できると考えるか。

 リベラルアーツ、という言葉の源となった意味の「自由」、それぞれが自分を自律的に大切にし、安心、幸せ、生きがいを求めていくことができる社会。お互いの尊厳を大事にしていくことができる社会にしたい。

 「日本のこころ」は、生まれた人間を上記「自由」を大事にし、求めそのために自分自身を律するような教えもある。ただ自然とあるものではなく、先人からの教え、それぞれの家庭、学校、習いごと、コミュニテイ等など、様々な共同体のなかで、単なる机上だけではなく、経験、体感、といった心身全体で学ぶものであり、本来の教えをきちんと認識し、その上で、現代的にひろがった社会により適合させて広めていくことが大事だと思う。

 

(2)そのために、自分がこれから、または、将来取り組んでみたいこと。

 「日本のこころ」という言葉には、塾で学ぶ本来の「日本のこころ」の姿とは違い、自己主張をさせず、同質性を重視し、全体主義を好む一部の人間に都合よく使われてきてしまった経緯があると思われ、本来そうではない、ということを自分自身もより学び、広めていきたい。

 「人権」という概念も西洋かぶれを考える人もいれば、大事と思いながらも、日本においては一神教的概念が無いため、根本的には無理なのではないか?という考え方もきいたことがあるが、「天賦」という言葉があり、命を大事にする古来日本からの土壌に十分期待ができるということも今回塾で学ぶことができた。まずは自分の仕事の場面でも「日本のこころ」をより積極的に意識してアプローチしていきたいし、それを周囲と共有したい。将来的には、この塾で学んだことと、日本の「法律」等を結びつけて発信していくようなこともしたいと思う。


三宅優美

一歩一歩身の回りから、積小為大

 

目指したい世界は、虐待や少年犯罪、無差別的な事件などのない世界を第一に考えました。ニュースを見るたびに心が痛くしばらく非常に心がざわついたり、これが偶然自分の周りで起こった場合の恐怖感などは常々ありました。ただ、この現状を自ら変える努力をしようとは考えていませんでした。今回この塾でみなさんの考えや熱意に触発され、一人ではもちろん何もできませんが、身近なところからでも自分にできることがあれば、実践したいと考えるようになりました。事件を起こす人は幼少期の家庭環境や養育環境に問題があることが多く、そこを整備することが効果的であると考えます。ただし凝り固まった親世代を変えることは難しいため、孤立している子供たちを救い上げることができればと考えます。孤立したこどもたちは、人との関りから社会性を学ぶ機会がありません。子供たちの「孤立を防ぎ、人との関りをもつ場」を作り、そこでいわゆる「小学」を学び、大我の成長を促し、小我のコントロールをできるような人間に成長できればいいなと思います。これを学んだ子供達が親世代になれば、またいいサイクルが生まれていく。昔のように周りの人々とつながりやすい地域にすることは大事なのでしょう。まさに温故知新です。町内会のお祭りなど自治体のイベントを増やして盛り上げる、などもいいですし、寺子屋のような集会場を作り(本塾はまさにその先駆けですね)「小学」を学んだり、「仁愛」を感じたり、「詮議」などで考える力をつけたり他の人の知恵を学んだり、「日本語」を大切にしたり、「音楽」の良さを感じたり。それが子供たちにとって身近な存在となるような場を作りたいと思いました。その中で、心配な子はピックアップして積極的に声をかけたり、児童相談所や保健師と情報共有するなどできるのかなと思いました。日本のこころの最たるところは、調和を重んじる、寛容であるところと感じます。幼少期に小さくずれた方向に成長している小さいずれは、許容して受け入れる、受け入れないと大きなずれとなり、事件を起こすに至るかもしれません。以前本で小さな悪を許容することで大きな悪を制する話を読みました。小さい違いを受け入れていくことで、世の中は様々な個があり、その様々な個が集まって社会ができていることを知る。違いを受け入れ、共存していくことで、視野の広い、アジリティを備えた、世界平和という未来を引っ張っていく人格につながるかもしれません。 まずは身近なところから、積小為大。目標は虐待や少年事件などの消滅ですが、その先にこのような初中教育を経たこどもたちが、アジリティを供え持ち、世界平和に貢献してくれることを願いたいです。

 

また、このような場に参加することで自分自身も人との関りが増え自分を深め続けることができるという利点も秘めています。自分としては、前述したような場をどのように実践できるか模索しながら(もし、同じような考えの方がいればぜひ一緒に)、まずは自分は「背中を見せられる大人」になるために、今後も今回知り合った方々などと定期的にお話したりして刺激を頂いたり、今回参考に紹介していただいた本などを読んだりして、もっともっと自分を深め、自分の腹落ちして信じる軸を作りたいです。みなさまのおかげさまで、少しその軸形成の大枠が見えた気もしますし、膨大な情報量が頭の中で錯綜してもいます。ただし自分で考えることが非常に重要であるため、「人はどうあるべきか、どう生きるべきか」模索し続けたいと思います。


甘粕亜矢

 世界基準をつくり、全ての国や人、企業が同じような価値観を持ち、同じルールに則って進んでいくグローバリズムは、一見、自国第一主義のナショナリズムと比較して望ましい社会のあり方のように思いますし、私も本塾で様々な見方を学び、対話をするまでは、グローバル社会に取り残されないように日本も努力をしていかなければならない、と考えていました。しかし、これまでの学びを通して、皆と同じ考えや基準に合わせることではなく、独自の伝統や文化、言語、風土、歴史などを通して育まれてきた「日本のこころ」(日本だけでなく全ての国でそうだと思いますが)を大切にしていくことが重要なのだと考え直すようになりました。

 地球上の様々な問題はグローバル化していて、1つの国で解決できるようなことは少なくなってきています。その解決方法は1つではないですし、関わる国の数だけ考え方が出てくると思いますが、その中で日本ができることは、色々な意見を聞いて柔軟に取り入れ、様々な考え方の調和を図って最善を導き出すことや、自分の損得ではなく人としての正しさや美しさを価値基準にした解を見つけ出して示すことだと思います。

 しかし、今の日本にそうした力があるとはなかなか思えません。それはなぜなのか。これまで歴史の中で良いときも悪いときもありますが、日本が国として力を発揮できていた時期には、目標や価値観を多くの人が共有していたのではないでしょうか。日本人として何を大切にしていくべきか、ということを共有することで、日本人である自分のアイデンティティを確立することもでき、自信を持って行動することにつながるのだと思います。そのためにも、自分が生まれた地域、そして日本を誇りに思い、大切にしていくことができる社会を作って行きたいです。

 自分の生まれた国に誇りを持つということは、自分を肯定することにもつながり、そこに恥じない行動をするということになリます。また、誇りを持つためには、もっとよく日本という国を知らなければなりません。そのためには、本塾で学んできたような歴史や偉人、政治、文化など多面的に日本を掘り下げて学ぶ場や、多くの人と関わり対話する機会、様々な体験や経験の機会を増やしていくことが重要になります。そうした学びを通して、一人ひとりがそれぞれの「日本のこころ」を自分の実感として体得することで、次には行動に移すことができるのだと思います。

 本来は学校でそうした教育を行っていくべきだと思いますが、PISAなどで行う国際的な学力比較に一喜一憂して教育の方向性が変えられたり、今の社会で受け入れられる又は価値が高いと考えられている理数系に重きが置かれていたりしている状況では、特に公立の学校で実践していくことは難しいと思います。また、家庭における教育力も以前から比較すると低下している、又は格差が広がっていると言わざるを得ない状況にあります。今後は学校や家庭だけでなく(もちろんその2つを変えていくことも重要ですが)、地域の力を借りながら全体の教育力を高めていかなければならないと思います。これまで学んだことをどうしたら実践に結びつけることができるか、自分の仕事で学校、家庭、地域の3つ全てに関わっているからこそ実現できることが何かを考えていきたいと思っています。