塾風景 気づきや感想

塾では話題提供者のお話のあとに、少人数に分かれてのグループ・ダイアログを行います。塾生同士が自由に対話することにより、考えを広げたり深めたりするためです。そして、ダイアログ終了後には、自分が得た気づきや心に残ったこと、ひっかかったことなどをチャットで全員に共有します。

 

ここでは、第三期のチャットの一部をご紹介します。

1.世界が期待する日本のこころとは

日本のこころに対するポジティブ、ネガティブ、強弱といった視点からの観察や、今回の本を読んで人生を振り返るきっかけとなったという共通点に感動しました。

 

アインシュタインや渋沢栄一翁などの言葉の視点からの融合と源泉的に動く日本のこころを前向きに捉えること、行動することが大切だと感じました。

 

グループダイヤログを通じて、「日本の心」とは「自分のことではなく、誰かのために。。。」というシーンが自分に訪れた時に何よりも力強さを発揮できる気質のことかなと感じました。

 

3世代混合のブレイクアウトルームだったが、どの世代も似たような雰囲気や課題感は同じように感じた。

 

大人よりも高校生の方が素直に日本人の特性を理解しているように感じた。年と共に何かネガティブな印象だけが積み重なっているのだろうか(笑)

 

2.日本のこころを育んだ源流に何があるか―神・仏・儒の習合、禅・Zen、和漢洋の思想

日本の芸術や武道などは、間の取り方がいかに大事かという意見交換をしましたが、もう少し時間を取って習合という視点に戻せたらと思いました。とても良い時間となりました。

 

自分の考えとして、「日本のこころ」は柔軟過ぎる為、他国の文化、宗教にのみ込まれるのではないかという不安がありました。しかし、対話を通じて、日本人は海外に行って、物事に衝撃・感動を覚えても全てを国内で転用するわけではなく、「日本のこころ」に合ったもののみを選んでいると感じるようになりました。

 

インプットの時間から印象に残ったことをそれぞれ話すところから始まって、後半は「習合」できる和える、混ざる、全体としてまた素敵なものが仕上がる力、はまだ我々に残っているのか?という問いが生まれました。迷走している数十年。個がめちゃ強い主人公が出てくる漫画の話になって、個の強さが集合の素敵さの前提だとしたら、今は集団の中で個が活かされてないのをなんとかしないと・・・という議論まで発展

 

最近転職や、引っ越しもして、職場組織や土地のアイデンティティが無くなったとき、自分が大事にしたいアイデンティティが「日本人」ということだって、皆さんの会話を聞いていて、天から降ってきました。また、本や講義を聞いていると、自分が日本人らしい日本人(前に出ないところとか)だなと思えてきて、このままの自分も日本人らしくていいのかなと、自己肯定感が高まりました。

 

3.地球環境の保全・人類の共生を支える日本のこころ―縄文以来の日本的霊性と神道について

古神道の世界観を唯一の道徳や倫理として押し付けるのでなく対話の材料にして、自分や周囲との関わりを振り返る機会にする、そして自分たちの未来を創造していくのが大切だと感じました。

 

神道の祝詞が大好きで宮崎に籠るすごい方がいました!

合気道の力の感じも、気持ちの込め方で変わるという実体験も心に残りました!

また、普段は意識していないけれど明日の自分に恥ずかしく無いようにいきるという発言からも、中今の考えを考えずに実践されているなぁと感じました!

 

今激増しているインバウンドは、日本のまさに「ここ(神道的な思想)」を観に来ているのではないか?自分たちが自分たちを認識して人に伝えることは簡単ではない

 

私たちのグループは、「世のため、人のため」ってなんだろう?ということについて対話をしました。特に明確な結論に至ったわけではありませんが、日々さまざまな現実と向き合い葛藤をする中で、かつ「正解はひとつではない」という見地に立って、皆でダイヤログを重ねて最適解を見つけていくしかないのかなと感じました。

 

日本の神道の世界観が地球環境の保全・人類の共生を支えるものであるとして、国際社会においてどのようにリーダーシップを発揮していくことができるかを掘り下げる必要があると思う。

 

4.政治思想と社会倫理の元にある日本のこころ―孔孟思想と陽明学等日本の儒教について

日本は儒教の枠組みだけを取り入れたのでその後の西洋化が進んだというくだりが書籍にあったが、そのあたりをもう少し知りたいと思った。陽明学は討幕派、反政府派の行動原理となったと書籍に記載があったが、つまり、それまでの社会の在り方をひっくり返すことと、平和を続けることの2つの教えがここに込められているということなのだろうか?

 

西洋のキリスト教などは神という絶対的な存在を軸に行動するが儒教は己の中にある美学に沿って行動しているそれが武士道なのかなと思いました。

 

「法の支配」というキーワードが話題に上がり、本来「法」とは、人民を為政者から守る為に作られたものであるが、最近の世の中で「法の支配」という言葉の使い方が従来の意味と異なっているのでは、という点が気になりました。

 

これまでの章の中で一番難しかった(自分の身近な出来事などに置きかえて考えられなかった)です。日本の儒教のお話で「分をわきまえる」というフレーズがあり、最初は自分の置かれた範囲から超えてはいけないという窮屈な考え方なのかと思いましたが、その後のお話でその道を極めた職人が尊重される・評価されるというのを聞いて、自分の理解が深まりました。

 

5.日常の生活習慣がつくり上げる日本のこころ―漫画・働き方・礼・女性活躍

日本は税金たくさん払っている大人が、社会課題や政治について発言をあまりしないのは、どういう文化土壌なのだろうか?サラリーマンの源泉徴収制度もきっと原因とか、元々自分の主張をしないで、あっちもこっちも立てる気質とか、色々意見が出て面白かったです

 

漫画は、実はその時代の社会で共通する認識や感覚を共有しているから成立するものであり、コマとコマの間に連続的な絵がなくても、読んでわかるのは、コンテクストの共有ができているからではないか。

 

漫画・アニメなどのサブカルチャーは日本のファンを増やすので平和な世界につながる可能性があると感じました。一方で、一つ一つの作品は個人の表現なので、それを国益に結びつけることがいいことなのか(日本人の奥ゆかしさに対して)と感じました。

 

ガンダムシリーズに女性が主人公であった作品が多くあることを初めて知った。日本の女性活躍は遅れているが、日本のアニメには女性が活躍している作品が多くあり、この点が世界にも評価されているところはあるのではないか。

 

育児両立の「いたみ」の内容は、もっと私たちの世代が発信しておけばよかったといういたみがあるという言葉に当時の日本企業がいかに男性社会で言い出せなかった雰囲気があったかということで重く受け止めた。

 

以前、当社の社外役員に就いていた女性とお話しした際、「女性」「役員になれる」というだけでいろんな企業から引き合いがくるが、本人は「女性だから」とみられているように感じ、違和感があるとおっしゃっていた。今日のグループトークで、日本は数字や形から入りがちというコメントがあり、彼女のその違和感が理解できました。

 

6.真のサムライとは?―剣道・弓道・合気道に見る武士道のこころ

武士道とは・・・自分の生きる道を進んでいれば、勝ち負けがあったとしても、その後、それぞれの道をリスペクトできる。

 

剣道ではガッツポーズが禁止されているが、多くのスポーツでは対戦相手の目の前でガッツポーズを取っていることに対して「礼」ないし「Respect」あるいは「日本のこころ」の観点からどのように考えるか?

 

剣道で、勝負の場で礼節を重んじるというのが印象的でした。自分の感情を抑えて相手を思いやる・・・感情を出し&相手を思いやる、でもいいかもと思いました。

 

高校生の意見が面白かったです。武道は個の内面が大事で必ずしも観客不要、スポーツは勝ち負け、ガッツポーズと観客。

 

武士道で男性だけが挙げられていますが、女性でもいらっしゃるような気がしますがどうでしょうか?すぐに思いつくのは、市川房江さんや、緒方貞子さん・・?

 

武士道は憧れ的存在だったのか。それともテキスト的存在であったのか。

 

7.明治維新の立役者の生きざまを支えたもの―西郷隆盛・勝海舟・山岡鉄舟

薩摩藩の教育システム「郷中教育」が素晴らしいと思いました。そのためには、地域全体、藩全体のレベルが共有されている必要もあるかと思いますが。

 

いま日本に必要な、「共創」という物に禅の精神は関係あるか・役に立つかという議論が出た。が、そもそも禅とは何か?

 

明治維新は近代において、それまでの体制や既得権益を打破した好事例。今の時代はイノベーションや共創が求められているとして、西郷隆盛や勝海舟の生き方や坐禅や武道の探求から活かせるものにどんなものがあるか考えてみたいと思いました。

 

陽明学や武士道、禅で大切にされてきた「知行合一」が、現代ではあまり尊重されておらず、「知」に偏重している。だからこそ、世の中が混迷しているように思いました。道を究めることが富士山の頂上に向かう(悟りに向かう)方向だとしたら、知行合一がそれにあたり、西郷さん勝海舟、山岡鉄舟らは、鍛錬のレベルが違う方々だったのだと、覚悟のほどが違うと感じました。

 

私が全く知識が無かったので、お話いただいた西郷隆盛や勝海舟のお話が、とても楽しかったです。その中で、西郷隆盛の受けた教育の話。現代の知識詰込み型のものとは全く違う。正解の無いものを考えることが、人間の力がつくのではないか。

 

西郷らがい生きた時代と今日とでは、「今を生きる」の「今」に対する感覚が違うのではないかとの考えで話し合いました。また、郷中教育で学ぶ詮議が真の人間力を鍛えるとても良いものであり、現代社会に必要なものでもあると感じました。

 

守破離について、今の日本人は思想の面・精神面で見ると、破や離(型から離れるところ)から入っているのではないか?守にあたる日本の精神を探求するのがこの塾ではないか?

 

8.聖徳太子の和の精神から世界・人類共生への日本のこころを考える

憲法17条で今も生きられたら!それを阻むものは何か?という問いが生まれました。いきすぎた資本主義、etc…

 

自分にとって心地いい和を探しにいくのか、今の環境に自分を押し込んで和っぽく過ごすか

海外と日本の転職率の差の話題になった時に、このような対比がでてきました。

 

衆議を尽くすことが前提。では、なぜ衆議がつくされず同調圧力につながることがあるのか。

 

聖徳太子は今風だね、という話が印象に残ってます。また、会議において議論が活発に行われないのは、そもそもその対象に関心がないからであるという話から、とにかく「和」なんだなと受け取っていたのですが、いろんな前提があっての和がありそうだなと考えさせられました。

 

17条憲法は今の時代にも十分通用する、あるいは広がってほしい考え方だと思いました。理解不足がある前提でいうと、一方で、活力ある社会になっていくためには和と競争のバランスも大切では、と感じました。

 

9.匠の道・茶道・書道・美術・文学等から日本のこころを探る 

リンデル先生からお聞きした仄めかし、相手に委ねる「聴き手の文化」であるという点は、自分の感性や教養を磨く必要があると感じました。

 

「あえもの」文化から経営者はもっと学んでほしいという声。器を広げる、度量を広げる、違う価値観を一旦受け入れて、自己を統合、進化させていっている経営者が周囲に残念ながらいないという話も出ました。

 

同じグループに生業が「マナー講師」の方がいて、最近のマナーにおける不易流行の状況について教えていただきました。そこから波及して「ほのめかし」の話題となり、最近の高級和食のお店でも献立のメニューの説明をお店の方が執拗に説明する傾向があるので、めんどくさくなる。でも、お店の体制がそのようになってしまったのは、お客である自分たちにも責任があるなぁという話になりました。お客である自分たちも、もっと旬について学んだり、五感を開いて察する力を身につけていかないといくことこそが「日本のこころ」を磨くことだなと思いました。

 

ベジタリアンと精進料理の考えが似て非なるもの。前者は生き物を食べない、後者は食べるが必要以上の犠牲は生まない。という意見がでて感銘を受けました。

 

ハイコンテキストという日本文化は悪いことではない。高度で美しいもののはず。悪いのは、ハイコンテキストの質が低下してしまって、言わなくてもわかるだろうという威圧や受け手の忖度に陥っていることではないか。

 

10.幕末から今日につながる実学・平等・人権・分権の思想

光と闇、グローバリズムとインターナショナリズム・・・二律背反は、相手あってこその自分の存在価値ということ。だから両方の視点が大事というお話。

 

「情緒と論理のバランス」「個と全体のバランス」・・・物事をゼロかイチ、良いか悪いかだけで判断するのではなく、多角的にとらえて判断していかねばと改めて実感しました。

 

お母さん、おばあさんから教えてもらったこと(家庭教育)を皆さんからお伺いしてみたいです。

明治維新による欧米化、戦後のGHQの政策による日本の教育の形骸化(人間力・徳育・人としてどう在るか?の教育の欠如)の2つによって学校教育が弱まっているとしても、家庭で継承されていた智慧をもう一度再興することで日本の教育が強くなるのではないかと思うためです。

 

光と闇など物事はトレードオフの関係?対極の関係にある軸で見ると物差しとしてわかりやすくなり、バランスなども考えやすくなると感じた。2点じゃなくて3点ある三角形や四象限と使い勝手を比較してみたくなった。

 

11.世界に貢献する日本型産業の精神の源―公益資本主義、石田梅岩、渋沢栄一等

「失われた30年」と言われているが、実は世の中は良くなってきているとの発言に、なるほどの一面がありました。他方、でもやはり算盤も必要という要素がついて回ることが難しさを残していると思っています。

 

人間力を磨くとは何か?少なくとも、人間の器を大きくするというようないつもの文脈ではなく、渋沢さんの講義では、「ムーンショットと現実を繋げる妄想力」を例に、人間にしかできないことを研いでいくという風に受け止めました。とすると、A Iも今後進化していく中で、人間ならではの力とは?というのを改めて感じて考える価値はありそうだという話になりました。

 

「頑張ったら報われるけど格差が激しい世界」と「格差が小さいけど自身の努力成果が表れにくい世界」どっちが良いかと考えた時、両方のバランスを取ることが重要だということに学びになりました。ネックとなる格差を広げた要因は、貨幣の発明と流通にあるということもとても勉強になる視点だと思いました。

 

公益資本主義に共感しました。経営者やシニアリーダーの「人間力」(矛盾を抱えてもあきらめずに更によい方向性を探求し賛同を得て実現する)を高めていく必要がありそうだと感じました。岸田総理が体現してるのかな。

 

確かに今の30代の方と話すと特に、家族や子育てを大切にする価値観、どこかにずっと雇われない生き方、働き方の多様性が我々次第よりグッと広がっているのを感じて、国力は置いておいて、人々のウエルビーイング度としては「よくなっている」と感じることも多いです。

 

12.グローバル時代における日本語の大切さ

和やかな雰囲気の中で、子育ての話や核家族と大家族の話、SNSやメール、手書きの手紙の違いなど話題は多岐におよびましたが、最後、和歌や俳句や映画や絵画など詠みてや作りて書きての意図をイマジネーションを膨らませて読み取ることこそ「日本の心だよねー」と話が盛り上がってきて良いところで時間切れとなってしまいました。

 

「日本語の学習」は、会話のために習得する というのと、日本のこころを自分の中に醸成させる(させていく)という2つの側面があるのだなと感じました。

 

日本にいれば、日本語だけ話せれば生活ができるが、海外からの移住者が増えてきたときに、「外国語を学ぶむずかしさ」を実感するためにも、日本語以外の言語を学ぶことは必要という同じグループの方のコメントから気づきを得ました。

 

言語を基に民族の思考の傾向が決まるのではなく、各民族の生活、環境に応じて言語の傾向が決まるのではないかという意見に納得しました。

 

国語は、日本語を「言語ツール」を育てる教育と「心」を育てる教育の2種類があることを意識すると、国語(日本語)教育の重要性が如何に重要か理解出来ました。

 

13.世界に求められる日本型リベラルアーツとは

感性や非認知能力を高めるのと並行して、自分のことや考えを相手に伝わるように話す力を養うことも重要だと感じました。

 

「リベラルアーツとはなにか」と考えても、明確な答えはまだ持てていないが、「自分の言葉で自分の考えを話すために、人間性や人間力を自分の中に形作ったり、醸成させていく行動のこと」と捉えたら、なんとなく掴めたような気がしました。

 

グループディスカッションの中で出た以下の発言が印象に残りました。「リベラル・アーツは幸せになるための技術で幸せとは自分だけでなく、社会の幸せである」、「抽象的なことを(自分の)言葉にして、さらに行動に移す勇気を持って実践することを身に着けたい」

 

グループで対話して、リベラルアーツが存在する意義は、自ら考え、自ら興味のあることに対して意欲を持って行動する人間をつくることだと認識しました。さらにここに日本型リベラルアーツが追加されることの意義は、人格形成の面で大きいように思います。和洋両方の良さを生かしたリベラルアーツを世界に発信していくときなのだろうと思います。

 

家政学と政治学の関連にはっとした。社会の最小単位である、家庭で、全く異なる他人と協働して信頼関係とともにコミュニティを形成していく。そこがちゃんとできていないと地域、国も治らないというか。家政は「政」ですもんね。ここがこの30−40年社会としてどうも軽視されてきた気がします。大学生の鈴木さんから、その家政の前に、「自分とは何か」という哲学も必須だとご意見がありました。

 

14.人工知能(AI)の時代と人間力

プライバシーデータがどんどん抜かれていく。。。技術は暴走するし少数の国や企業が主導する可能性をいかに排していくかが大切かな、どういう社会にしたいかという構想力を働かせ発信していく必要性を感じました。

 

AIは使っていかないと分からないことや誤解していることがあること。実際に導入しようとしてもどうすれば使えるのかかがまだ、現場レベル浸透していないこと。AIに質問できるからこそ、人と人とのつながりをしっかりと持って対話共有する時間をどんどん作っていくことの重要性を感じました。特に、職種や年代を超えてAIにおすすめされたような出会いではなく、全く予想もしない出会いと価値観の交流を大切にしていきたいと思いました。

 

以下のクエスチョンが自分の中に湧きました。

・技術革命史の話のくだりで、心(こころ)のテック化は、本当に無いのか?

・禅問答の世界はAI化可能なのか?

・四書五経の精神をAIにアノテーション(機械学習)させたら、どうなるのか?

・⑤知性→④感性→③本能→②魂→①真我は、どの領域までAI化可能なのか?

 

AIが今後もっと発達した世界での人間の存在意義は?AIは入り込んではいけない領域(があるとしたら)のコントロールは人間がする必要がある。AIは過去から学び、人間は新しいものを生み出す、というような役割分担ができるのが理想かと感じました。

 

居合の達人の動きを読み込ませたロボットが、居合の達人と同じような動きで、スパッと居合斬りする動画から、AIの可能性を見ました。そんなAIをどうやって上手に活用するか、そんな分野が広がるんだろうなと想像して楽しかったです。

 

見えるもの、聞こえるもの、言語化できるもの、さわれるものだけがこの世界だと認識しているとしたら、AIに支配されてしまうおそれがある。人間とは何か?をAIによって深く問うことができる時代でもある。我々には霊性がある霊長類だということを認識できるような教育が必要で、日本的霊性はそのために世界に役立つのではないか。6センスと言う映画があったが、仏教にある阿頼耶識を認識できるような方向への学びが世界に普及していくなどの方向性だろうか。