第一期塾生最終レポート

森岡泰臣 梅本麦人 嶋田吉朗 大野丈 竹上昌毅


森岡泰臣

 世界にとって日本は必要な存在であり、その存在感はこれから日増しに増していかなければならないと思う。必ずしも日本が優れているから日本のこころを他国にも広めるという穿った気持ちではなく、日本がこれまで歩み、連綿と伝わってきた文化や伝統、神・仏・儒の習合に見る様々なものを上手く取り入れ自国のものにしていくセンスは、戦争を経験してしまい自己肯定感が低い日本人が多く、現在の日本のこころが優良と言えない部分もあるかもしれないにしても少なからず今も息づいている。これらの点で日本が世界に対して貢献できる事は多くあると思う。

 昨今のSDG’sの思想は、元々日本は行ってきていたわけで寧ろ日本発信でなければならなかったくらい日本が先導してきていたはずの行動・思想と思う。

日本は、決して大きな面積でなく、また島国で、気候的にも四季を巡るがゆえに育まれてきたものがこれまでの日本の歴史をつくり、そして日本のこころも築かれてきている。過去に比べて、明らかに日本人のこころが変わってきてしまい決して良い方向に向かっていないように思うものの、それはどの時代・年代に於いても同じように感じてきた世代がいたのではないかと最近思うようになった。如何なる状況になっても必ずどこかで変化が生じ日本のこころが芯の部分が崩れることはなくしっかりと日本・日本人に息づいていくのではと感じている。

 日本は、他国に類をみない文化・伝統・歴史がある。が、諸外国・各国の当人からすれば同様に類をみない文化・伝統・歴史が必ずある。その中で日本は、習合という点で上手くより良いものにしてきた経験がある。上手く折り合いをなしていくという点が日本のこころとして貢献できると考える。その上で、世界に貢献するには世界そのものを知る必要があると思う。自国が如何に良いから是非同じようにしてほしいと思っても、他国にとっては違うはずで、その違いを理解するにはその国の事も理解し、その上で渡り合っていくべき。

 そのためにも日本とは?日本のこころとは?というところをもっともっと学んでいくと共に世界とは?世界の各こころとは?も学び、それを踏まえて海外の人たちと交流していく必要があると思う。

 世界に日本を浸透させる、そして架け橋になるためにもこれからも年齢関係なく常に学びを続けていく事が大事だと思い、引き続き日本の真のこころとは何か?世界とは何か?を学び続け、その知識を糧にして仕事上、海外とのやり取りの際に反映させられるようにしたい。


梅本麦人

日本は物質的にはとても豊かな国でありながらも、国民がみな幸せを感じて生きているかと聞かれたら、疑問が残ります。競争社会で生き抜くことにストレスを感じ、自分が生きることで精一杯、他者に気を配る余裕なんてない、むしろ溜まったストレスを、他者を攻撃することで発散する、昨今の日本はそんな世の中に見えて仕方ありません。その結果、ルールばかりが増えて、若者たちはストレス発散の場を探し、カウントダウンやハロウィンなど、機会を見つけては街で大騒ぎをして暴徒と化す、それを見てまた規制を強化する、そんな悪循環の中で私たちは息苦しさを感じているのではないでしょうか。

 

この一年、自啓共創塾で知った「日本のこころ」は、そんな今の日本とは180度違う、自然と共存し、お互いが支え合いながら生きる、ほんの少し前のこの国の姿でした。独特の風土と恵まれた自然環境の中で育まれた豊かな精神文化、神仏儒を習合して練り上げられた「日本のこころ」は当時、世界を魅了し、現代に生きる私たち塾生をも魅了しました。

 

環境破壊によって将来的な地球の存続が危ぶまれている中、確実に将来それら大きな問題と向き合うであろう子孫を残しながらも、私たちはなにもしないで良いはずがありません。[私たちはいつの間にか、大切なことを失ってしまっている]という事実を皆が知ることで、一人ひとりがほんのわずかでも他者や環境問題へ配慮するようになれば、やがてそれは大きなムーブメントになっていきます。私たち日本人こそ、その世界的なムーブメントを先導する役割を担っているのです。

 

そのためにも、自分自身がもっと学びを深めながら「実践」し、もっともっと社会で活躍していくことが重要と感じました。

 

決して学んだことに酔いしれることなく、ここから実践に落とし込んでいくこと、それこそが、二宮尊徳が我々に残した最も重要なことのように思います。


嶋田吉朗

これからの世界・社会に立ち向かう日本の夢(ビジョン)

 

自啓共創塾では、様々なトピックから日本のこころについて議論を行なってきた。その中で、本塾が目指す「日本のこころ」には固形的な実態があるのではなく、現代の我々が、何らかの意思を持って選びとる流動的な総体として捉えるべきものという理解を、共有することができた。明治維新のリーダーたちが時代変革のために江戸幕府に先立つ伝統的な天皇の権威を戴いたり、新渡戸稲造が武士道を近代的な国際社会の倫理を意識しつつ再解釈して西洋社会に発信したりしたように、時代の要請に基づく伝統の選択的解釈は、それがどのような主体によって、どのような意味において選択されたのかに自覚的である限りにおいて ―そうした留保が抜け落ちた場合の副作用もまた、日本社会は経験してきている―、有用性を持つと信じる。上記のようなプラグマティックな観点に立つならば、「日本のこころ」を活用する対象を定めることが重要となる。現代の日本・世界が抱える問題は言うまでもなく多岐にわたるが、私は政治的な主体性と対話の精神を「日本のこころ」と関連づけながら教育に生かすことが可能であると考える。

 

選挙権年齢の引き下げもあり、主権者教育が求められている中、日本人には伝統的に「お上」意識が強いとされ、政治的主体を養う教育と伝統とが結びつき難い現状がある。しかし、「日本のこころ」の全てが、受動的な態度に結びつくのではない。例えば今回の塾において何度も言及された、「日本のこころ」の構成要素である武士道は、主体的に公に尽くす政治的エリートの気構えの体系と理解することができる。西洋社会のノブレス・オブリージュや市民道徳(Civic Virtue)と同様に、古今東西、利他性などの徳や自制心を備えていることは、文明社会の公共的空間でのコミュニケーションの前提として理解されてきた。

 

大衆社会の時代となると、政治参入におけるこうした道徳上の障壁は留保の上で、従来の政治コミュニケーションでは抑圧されてきた社会的弱者やマイノリティが公的な政治制度の外側から権利を訴え、それを獲得してきた。その過程は必然的に精神的・物理的な剥き出しの衝突という形で現れ、従来のエリート的政治倫理の外側にある場合も多かった(従前の倫理を実際にエリートたちが実践できていたかは、全く別の話である)。このことはそれまでのエリート的支配の限界を表しているが、倫理的な心構えが政治に不要になったかといえばそのようなことは全くない。社会の多様性が増すほど、平和的に対立を乗り越えるための利他性や寛容・忍耐などの心の習慣は求められるはずである。

 

この、多様性の包摂と共通の倫理的基盤の必要性というジレンマを乗り越えるためには、政治には誰もが参入すことができるという前提を維持しつつも、粘り強く平和的に合意形成を目指すための共通の道徳を模索する必要がある。その時求められるのが、道徳教育であり、その手段として「日本のこころ」を考えることができるだろう。禅の心のような、自己と世界との一体感や、主体性と利他性を涵養するために、一方でそれが単なる滅私奉公的抑圧とは区別されるように、注意深く教育を組み上げていく必要があるだろう。


大野丈

私は障がいのある方とそのご家族が健常者と一緒の選択肢を持てる社会、すなわちノーマライゼーション社会の実現に向けて命を燃やしていきます。なぜなら、私自身が障がいを抱えた方々に対して無知による差別をしていた当事者であり、自身が無意識に差別をしてしまっていたということと、人と人の間に上や下というものは存在しないということを知的障がいを抱えた友人に教えてもらったからです。その友人とは自身が大好きなサッカーを通じて知り合ったのですが、一緒にボールを蹴り合うなかで、その友人の優しさや他者に対する思い遣りに触れることで、人として在り方や人は他者や社会に生かされているということを知りました。出会った当初は、知的障がいを抱えているということで、自身がサポートしないといけない、何か手を差し伸べないといけないと思い接していたのですが、一緒に時間を過ごすなかで、それは無知による差別であるということに気が付きました。それまでの人生で障がいを抱えた方と一緒に時間を過ごすことがなく、ニュースを中心とするメディアの情報をもとに「障がいを抱えた人は可哀そうな人」という勝手な障がい者像を抱いてしまっていたのです。自身としては誰にも平等で誠実に接することを心掛けていたので、気が付いた当初は非常にショックでしたが、人に優劣はなく、自分のできる範囲で他者の役に立つ大切さに気付くことができ、人生にとってかけがえのない経験となりました。

 

自啓共創塾を通じて、日本のこころはノーマライゼーション社会を実現するために大きな貢献をすると確信しました。個人ではなく、人と人の和を大切にしている点、神道、仏教、儒教と異なる宗教をそれぞれ認めてきたこと、パリ講和会議において、世界で最初に国際会議において人種差別撤廃を明確に主張したこと、日本は古くからノーマライゼーションを体現してきたということを知ることができました。厚生労働省の調査によると、現在、我が国において、障がい者への差別や偏見があると感じている人の割合は83.9%にものぼります。また、親族に障がい者がいるという理由で結婚が許されないということや、スポーツや音楽の習い事を受けることができなかったり、健常者と呼ばれる人たちが当たり前のように行使している権利を障がい者の方々は制限されています。私は障がいというのは人にあるのではなく、社会にあるものだと思っています。人それぞれ得意なこともあれば苦手なこともあるなかで、お互いに助け合うからこそ豊かになれるのではないかと思います。ノーマライゼーション社会を実現するために、現在所属している株式会社Lean on Meでは研修サービスを通じて、社会に対して障がいに対する正しい理解を促し、個人においては学生を中心とした若年層のキャリア支援を行っているので、障がいをはじめとする多様性の大切さを伝えていきたいと思います。自啓共創塾を通じて日本のこころを学ぶことができて、自身の志が明確になりました。貴重な学びの機会を提供していただき、ありがとうございました。


竹上昌毅

最後のレポートを提出します。なかなか具体的な行動計画にまで練ることができず、概念の整理に留まってしまいました。自啓共創塾での15回の学びにより多様な考えに触れ、また、普段なら読まないと思われる書籍を多数読むことができました。少なからず自らの視野を広げることができたと自認しております。このような貴重な機会をいただきましたこと、関係者の皆様に改めて御礼申し上げます。

 

1.全ての個人に居場所がある社会の実現を目指す

全ての個人がコミュニティーの“共通善”に対して何らかの形で貢献し、その結果、コミュニティーから評価され認知されることにより、全ての個人が尊厳を伴った生活を営める社会

 

2.上記1のために必要となる事項

▹全ての人が“統合知”を獲得して人間力を高め、知的格差の少ない社会と、突出した才能を育む教育の共存を実現

▹多様性を受容し他者に寛容、且つ、他者を真摯に高く評価できる人間性の育成

▹コミュニティーの範囲を柔軟に拡縮し、他者と共存するために協働して問題解決ができる集団知の獲得(コミュニティーの対象は自然にも拡大)

 

3.上記3のために日本型リベラルアーツ教育に求めるもの

▹自らを理解し(含む歴史)、他者を理解し(他国の文化、宗教等)、世間を理解できる知識の教育

▹諸学問を結びつける目的や価値の理解力、日常生活における思惟や行動の指針力、道徳や宗教にまで連なる人生観と世界観を養う教育(東京大学出版会“教養教育と統合知”編者:山脇直司)

▹未知の概念・文化と、自らの概念・文化を習合する力の育成

▹和をもって貴しとする精神の醸成

▹漢字カナ交じり文を駆使することによる、高い思考力・知的伝達力の育成

 

4.自らが取り組むこと、将来取り組みたいこと

急に話は小さくなりますが・・・まずは、改めて自らが学び直し、統合知の獲得に務めます。そして娘達に日本型リベラルアーツ教育を実践し、次の世代への継承を託します。